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書 名 透明人間 著 者 H.G.ウエルズ 訳 者 橋本槇矩 発行所 岩波文庫 定 価 520円 人間は透明になれたら、何をするだろうか。そんな誰でもが考えることのSF の古典です。 時は一九世紀の末のイギリスのロンドン近くの片田舎に「奇怪な男」があら われます。顔はすべて包帯で覆われ、目は色眼鏡をかけていて不気味です。こ の男が透明人間なわけです。この男は部屋にこもってばかりいて、何か実験を しています。そして大変感情の起伏が激しく、おこりっぽいのです。 まずいったいどうしてこの男は透明になってしまったのでしょうか。この男 グリフィンは田舎の大学で物理学を専攻し、光の研究をしていました。そして 透明になれることを願うようになります。何故かなら、馬鹿な学生を相手にし たり、いつも研究成果を盗もうとする教授がいます。彼はそれに耐えられませ ん。透明人間になれたなら、力、自由をもつことができるはずです。 この研究を続けるために彼は金を盗むようになります。まず最初に父から盗 む。父はその結果、自殺してしまいます。しかし彼はまったく後悔しません。 ここのところで、このグリフィンの異常さが表れてきます。熱心な研究者なの ですが、また怖ろしいほどの利己主義者なのです。やがて自分が透明になるこ とに成功します。さてこれから彼は何をやろうかと考えます。 しかし思っていたよりも、透明人間であることは大変に苦労することなので す。 君にもぼくの苦境がそろそろ解ってもらえたろうと思う。住む場所も、 身を寄せる所もない……服を着ようとすれば透明である意味はなくなって しまう。食べる方も控えなくてはならない。特に消化しにくいものはグロ テスクにも透けて見えてしまうからだ ケンプ、考えれば考えるほど透明人間なんて馬鹿々々しいものに思えて きたよ。寒くいやな気候のときに人の多い大都会にいるとね。この気ちが いじみた経験をする前は、いろいろなことを夢想したものだった。しかし その日の午後は全く意気消沈していた。私は人の望み得るいろいろなもの を数えあげてみた。疑いもなくそれらは手に入るだろうが、手に入れたも のを堪能することはできなかった。野心や名誉も姿が見えないのでは何に なる、結局は裏切るデリラのような美女の愛を得たとしても何になる? 私は政治、慈善、スポーツには関心がない。いったい何をしたらよいのだ! こんなつまらぬことのために私は包帯の化け物、滑稽な男になったのか! ここのところを考えるグリフィンは正常です。彼はこの悩みから、彼は元の身 体に戻れる方法の研究をしようと、最初の片田舎に現れるのです。 しかし、また異常な面も表れてきます。 「殺人だよ、私たちのやらねばならないのは、ケンプ」…… 「無差別な殺人じゃない。正義の殺戮だ。世間は透明人間を知った。これ を逆用するのだ。ケンプ、恐怖政治を打ち建てるのだ。……」 この透明人間グリフィンは2重人格者なのです。透明になって自由を得たいと いうことのみならず、世界を恐怖で支配したいという分裂した人格を持ってい ます。このことが、この透明人間に悲惨な結末をもたらすことになります。 それにしても、もはや古典である最初の透明人間とは、やはりかくも異常で あり、かつかなり凶暴に描かれており、人間が透明人間のままで生きていくこ となんかできないのだという結末なのだと思います。透明人間の告白〈上〉 透明人間の告白〈下〉
書 名 透明人間の告白 著 者 H・F・セイント 訳 者 高見浩 発行所 新潮文庫 定価 上下各560円 ウエルズの透明人間は自分で研究の上で、自分の意思で薬品を飲むことによ り透明になってしまいました。しかしこの小説の主人公ニック・ハロウェイは ある事故により、偶然に透明人間になってしまいます。まったく予想もできな いことですから、透明になった自分を発見してかなり驚きます。このシーンの 描写は見事です。ニックの驚きは読む者みんなに映像を見るように伝わってく るはずです。 ニックは事故の現場で次第に事実を確認しつつ、この不幸な出来事になるべ くうまく対処していこうと考えます。どうなるのか分からないが、事故現場に 来ている秘密情報機関に身を預けたら、もう実験動物にされてしまうかもしれ ません。自分で生きていかなくては。事故現場には彼以外にも、まだいくつも の透明になったものがあります。ウエルズの透明人間は裸ですが、ニックは事 故のとき着ていた服も透明です。だけど人間、服一着ですごせるわけがありま せん。そこでなんとかこの機会に、透明になっているあらゆるものを、この事 故現場で集め運び出します。これはちょうど、デフォーの「ロビンソン・クルー ソー」が難破した船から、たくさんのものを持ち出すところと同じです。ロビ ンソン・クルーソーがたった一人で苦労して海の上を運んだように、ニックも たくさんの透明のものをたった一人で透明の身体で運びだします。違うことと いえば、ニックの方は彼を捕まえようとする秘密情報機関の連中との闘いの中 でそれをやりとおすということでしょうか。 しかしこの現場からまず自分の住んでいるところまでたどりつくのも大変で す。ウエルズのイギリスの片田舎ではなく、彼はニューヨークに住んでいるの です。車を運転するとしたって、透明な運転席だったらどうなるでしょうか。 ふつうの人間だったときにはほとんど人目を引かなかった僕が、人間の 目に見えない存在になったとたんに人目を引くようになるとは、馬鹿馬鹿 しくも不公平なことではないか。 車を降りて、道を歩くのも大変なのです。ニックが横断歩道で信号が青になっ たから渡ったとしても、タクシーは止まらないのです。 私たちが透明人間になったことを想像しても、いったいあの満員電車に乗れ るでしょうか。エスカレーターは、エレベーターはどうでしょうか。実にニッ クはビルの中を苦労して階段を駈けあがるところがいくつもあります。階段だっ てよく見ていかないと人にぶつかられてしまうのです。 食事はどうなのでしょうか。どうやって食料品を買うのかな。 いまの僕をだれかが見ていたら、びっくり仰天するにちがいない。なん せいやらしい色のペースト上の物体が、空中を下降していって、虚空にど ろっとたまっているのだから。 僕の肉体は透明でも、いや、透明であるが故に、そこに外部から摂取さ れるものは、当然のことながら、はっきりと見えるのだ。なんたることだ ろう、まったく! この当惑すべき事実を、僕はあらためて思い知らされ た。見方をかえれば、僕という人間は、吐瀉物と排泄物のつまった、一つ の細長い袋になりつつある、ということじゃないか。考えてみれば、実は 生まれたときから、僕はそうだったのにちがいない。ただ、すべての人間 に共通のその側面は…………いまだから落着いて言えることだが………… 肉や皮膚という不透明な衣によって隠されていたにすぎないのである。 そしてニックは食品によって体内から消え去る時間を丁寧に計ったりします。 こんな大変に面倒な透明人間なのですが、彼が落ち着いてなにをやりだすか というと、まず彼は証券アナリストですから、電話で仕事をかたずけようとす るのです。私たちもそうなるのではないでしょうか。とりあえずはアポイント のある人に電話してなんとか仕事をかたずけようとする。もうこのまま透明人 間でしか生きられないのかもしれないのに、真っ先にまず仕事です。 それから事故現場に来ていた、国の秘密情報機関から追いかけられ、逃げ回 る生活になるわけですが、もう現代で透明人間が生きるのは大変なことなので す。まず食品を買うのはどうするでしょうか。住む所は。カードは使えるでしょ うか。小切手(米国ではやたら個人も小切手を切るようです)は切れるでしょ うか。そもそもどうやって預金口座を開設しましょうか。 ニックも並みの男です。女性を抱きたくなることだってあります。風呂も入 りたい。ひげもそりたい。酒も飲みたい。友人とも会話したい。でも彼は透明 人間なのです。 この透明人間は、なんらはなばなしい諜報活動なんかするわけでもありませ ん。それより以前とおなじく証券を売買して、生活して、金をためて家をもっ ていきたい透明人間なのです。恋人がほしい透明人間なのです。それをなんと か実現していきます。 ウエルズは作り出した透明人間を悲惨な結末にもっていかざるをえなかった のでしょう。自分で透明になろうなどと考えている人間は邪悪な面をもってい るというのでしょうか。しかし、このニックのようにたまたま事故によって透 明になった人間も、自分の人生を自分らしく生きていく資格は当りまえにある のです。 この透明人間は今もニューヨークで生きています。毎日当りまえに仕事して、 毎日面白おかしく生きているにちがいありません。少しは私たちより面倒なこ とがあるのかもしれませんが。 実は私は最初「透明人間の告白」の方を先に読んでいました。そしてもとも とのウェルズの原作も読んでみようという気になりました。ウェルズの方は、 誰もが多少はあこがれる「透明人間」ということとは違って、実に暗く悲しい 存在です。それにくらべて「告白」のほうは、その透明人間としての不便さ、 面倒くささがあったとしても、懸命に生きていこうという透明人間の生き方が あります。孤島に住むロビンソン・クルーソーではなく、ニューヨークという 中で生きるこれまたロビンソン・クルーソーなのだろうなと思いました。どち らも孤独であり、でも懸命に生きているのです。火星人ゴーホーム
書 名 火星人ゴーホーム 著 者 フレドリック・ブラウン 訳 者 稲葉明雄 発行所 ハヤカワ文庫 これはユーモアと諷刺にみちたSFといえるのかもしれません。星新一の短 編SFをもっともっと長編にしたのを読んでいるような気にもなってきます。 ただどうしてもそんなに愉快には読んでいけません。やっぱり、アメリカ人と 日本人との風土の違いもあるのかなとも思いました。広大な国土のしかも砂漠 の中にいたりすると、こうしたことを想像することもあるのかもしれません。 ちょっとまたいいすぎになるでしょうが、私はアメリカ人の見るUFOと日 本人の見るUFOは違うもののように思うのですが、どうでしょうか。日本の UFOとは、私は「きつね憑き」のように思ってしまっています。私たちがも し火星人を出現させるとしてもまた違うな話になるでしょうね。フレデリック・ブラウン「さあ、きちがいになりなさい」
書 名 さあ、きちがいになりなさい 著 者 フレドリック・ブラウン 訳 者 星新一 発行所 早川書房「異色作家短編集7」より この小説を紹介したいと思ったときに、この小説名に困りました。さてこれ はこのまま書いてしまっていいのかなと思ったのです。でもこうして本の題名 に書かれているわけであり、そのままでいこうと決意しました。本来は私の姿 勢が問われるわけですから。 さてこの「短編集7」には全部で12のブラウンの短編が収録されています。 なかでもこの「さあ、きちがいになりなさい」がいちばん迫力がありました。 主人公ジョージ・ヴァインは、3年前に事故にあいそれ以来記憶喪失になっ ています。実は自分はナポレオン・ボナパルトだったのですが、1796年イ タリア戦線のローディのテントで眠りについたところで、記憶がとまっていま す。1944年のイギリスでジョージ・ヴァインという新聞記者としてめざめ させられました。だがそのヴァインとしての記憶はまったくありません。これ を偏執狂というらしいです。だが、彼は英語は喋れるし、英文タイプも打てる。 しかも実のナポレオンが1821年に亡くなったことも知っている。彼はその 矛盾が説明できません。彼は気が狂いそうになる。わけが分からないからです。 そして彼は精神病院で治療を受けます。そして本当に気が狂ってしまいます。 今度は自分のことを完全にジョージ・ヴァインと思い込む偏執狂になる。彼は 1年後退院し、普通の生活になります。すなわちこれで生涯幸わせに生きるこ ととなるわけです。 だが彼は本当にナポレオンだったのです。それが正常でした。気が狂るって、 あたらしくイギリス人の新聞記者という妄想で生きていることになるのです。 いったいこれは何なのでしょうか。私たちの回りでもさまざま見かけること があります。どうみても、誇大妄想としてしか思えない人はたくさんいます。 自分で気づいていないのだから、回りはやっかいです。 男性の場合は、自分がいかに能力がある人間かという妄想が多く、女性は、 いかに自分が男性に慕われる存在だが、自分は避けているのだという妄想が多 いですね。話をするたびにこちらは困惑し、適当にごまかすしかありません。 だがひょつとしたら、それは本当なのかもしれません。彼、彼女の脳裏には自 分が認められていた真実の時代の記憶しかないのです。だから彼、彼女は本当 に能力ある、魅力あふれるひとたちだが、それを妄想としてしか受けとられな いため、いらだつことになります。いつまでもすれちがいなのですが、だから こそ、この小説の主人公のように早く自分の枠の姿に偏執すれば、表面的には 幸福といえるようになるのかもしれません。それも妄想だとしても、まだまし といえるでしょう。 この小説を読んで私も思い出したことがあります。私も大学3年のとき、あ る精神病院の看守のアルバイトをやったことあります。白衣着て鍵をがちゃが ちゃさせて、締めたり開けたりして、なんだか変な気持ちでした。というのは、 私は東大闘争で長く拘置され、出てきたばかりで、今度は逆の立場だったもの ですから。まあ普段は手錠とか、腰縄とかはない世界ですがね。ただ、ここは 刑務所とちがって、期限がないのですね。いつになったら出られるのかという のがわからないのです。刑務所と同じなのは、いったん回復して退院しても8 割くらいがまた再入院してくるということでした。最初注意されたのは、患者 に住所を聞かれても、教えないことといわれました。手紙は当たり前ですけど、 制限されているわけじゃないから、出すところがないので、住所知ると、どん どん出しちゃうんですね。同じアルバイトで、郵便受けがいっぱいになった友 人がいました。 患者はかなり優秀なひとがいました。私のことすぐ学生運動やっていると見 抜いて、さまざま論争しかけてくるひとがいました。また旧軍隊の思いの中で 今も生きているおじいさんもいました。だけど圧巻だったのは、食堂でも病室 でもいつも顔をまっすぐあげて、ゆるやかに歩く30代の男性でした。聞くと なんと「私はロシアの皇太子である」といいます。私は唖然としました。考え てみれば、ロマノフ王朝の末裔が白系ロシア人の群の中で日本に来ていても不 思儀はないのかもしれません。あのひとはいまもあそこにいるのでしょうか。 それとも、日本の一市民としての妄想にとりつかれ、退院したでしょうか。 私はここのアルバイトが気にいったのですが、長く続きませんでした。69 年の12月10日、ここのアルバイトは夜勤でしたから、あくびをかきながら、 そのまま私は、埼大闘争での6・12事件の最初の公判を見にいきました。私 が府中刑務所に勾留されているときだったので、私は参加できなかった闘争で す。ひさしぶりに、拘留中のためながく会っていない友人の被告たちにも会い たかった。それで午後1時から5時までかかりました。 だがどうしてか、新聞記者がいっぱい。裁判所の外には機動隊。みんなでス クラム組んで、外にでたところ、ストロボがたかれ、私は逮捕されました。実 はまた別な件があったのです。私は「あーあ、今度は長えだろうな」と思いま した。私はパトカー乗ると、すぐ眠りはじめました。だって眠っていないんだ から。私はなにか聞かれたら「私は北一輝だ」と答えやろうと思っていたので すが、眠くて眠くて。やがて随分たったあと、ついたあたりで、「ここはどこ だ」「朝霞だよ、知っているだろう」といわれて、北一輝のことすっかり忘れ て、思わず「ああ、野戦病院がある、昔きたことある(野戦病院撤去闘争に)」 なんて言っちゃって、最初のけっさくな計画は挫折してしまいました。 この小説読んで、こんなことさまざま思いだしました。レイ・ブラッドベリ「華氏451度」
書 名 華氏451度 著 者 レイ・ブラッドベリ 訳 者 宇野利泰 発行所 ハヤカワ文庫 秦の始皇帝がやった最悪の政策といったら、焚書坑儒でしょう。始皇帝と同 じくらい偉大だとされた毛沢東も文化大革命という中で同じようなことをやり ました。私はなんにせよ、本を焼いてしまうなんてことは最悪のことに思いま す。今の時代でもときどき出現する「悪書追放」などという運動にも嫌悪感し か抱きません。なんにしても全体主義を象徴する動きなように思えるのです。 この小説の世界は近未来社会なのでしょうが、主人公の仕事は禁じられた本 を捜し出し、たちどころに燃やしてしまうことです。本に火がつき燃え上がる 温度が華氏451度なのです。 こうした人間に悪い影響を与える本を無くしてしまえというのは、過去から、 現在に至るまで繰返し出てきてしまう考え方のようです。とくに政治を志す勢 力にこの傾向が多々現れてくるように思います。「プロレタリア」文学という まったくの勘違いがあったように、またいまある文化を反動的などと決めつけ てしまうような傾向が厳然と存在していることはまさしくこのようなSF社会 ができてこない保証はないのだといえるかと思います。 しかしまたこの著者には、科学と技術に対する危惧感も相当あるようなので す。多分この著者が、現在の日本の電車の中でや歩きながらウォークマンを聞 いているたくさんの私達の姿を見たとしたら、それらこそが活字文化を否定す る科学と技術の象徴と見做してしまうでしょう。ましてやパソコンの発達など も同じにとらえてしまうに違いありません。 私などは、こうしたものがより発達していく社会になればなるほど、詩を読 んだり、哲学を学んだりすることがより一層重要になってくると思っています から、彼の見解にはまったくうなずけないのです。それが残念ながら、このSF にはそれほどひきつけられることがことになってしまうように思っているので す。 ちょっと考えていただきたいのです。100年前に私たちはそんなに本を読 んでいることができていたのでしょうか。字を読める人間はいったいどのくら いいたのでしょうか。あと100年たったとしても、字を読んだり、書いたり することは私たちにとってより一層重要になっていくのです。ただし、それが 紙に印刷され製本された「本」という形態だけにはならないだろうということ は、勿論いうまでもないことであるだけです。虎よ、虎よ!
書 名 虎よ、虎よ! 著 者 アルフレッド・ベスター 訳 者 中田耕治 発行所 ハヤカワ文庫 私たち人間が目の前にしている現在は、時間と空間というものの中で存在し ています。誰もこの二つを自在にすることはできません。しかし、これがもし 自在に移動できたらどうだろうかというのは、SFの世界では大事なテーマで す。 25世紀の世界、人間はジョイント効果と呼ばれる瞬間移動能力を手に入れ ています。ただし、移動できるのは空間であり、しかも惑星の間は移動できま せん。しかしこのジョイント効果がもたらしたものは、古い秩序の崩壊であり、 倒産、恐慌、飢餓そして惑星間戦争でした。この時代の中で、顔に虎の入れ墨 をされた男ガリヴァー・フォイルの強烈な復讐の物語がこの作品なのです。彼 はどうしてかジョイント効果でも、さらに時間の壁をも超えることができたよ うです。そこにこの作品でのさまざまな謎が出現してくることになります。 だが今の私たちには、この時間と空間を超えるというのは、かなりな別な要 素をもってこないと魅力を感じないものになっているように思います。むしろ この作品においては主人公の復讐への強烈なパトスがこの時間と空間の壁をも 超えることのできたもののように思います。したがってその主人公の情念が分 からないと、あまりにこの物語にひきつけられることはないのではと思ったも のでした。スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに」
書 名 ソラリスの陽のもとに 著 者 スタニスワフ・レム 訳 者 飯田規和 発行所 ハヤカワ文庫 星そのものに意思があると考えられる惑星ソラリスが舞台です。そこに至っ た宇宙船では異常なことが起きています。各自乗組員には、そこにいるはずの ない各自の妻や恋人が存在しています。そんなことは物理的におきるはずがな いのだから、それらの存在は各自の心を読んだこのソラリスが作り出したもの のようです。 これは私たちが見る夢の世界でも、誰もが自在にできるか否かは別にしても か同じようなことができているかと思います、だがこのソラリスでは本人以外 の人間も現実に目にすることができてしまうのです。これはソラリス自身が高 度な脳をもった存在であり、各乗組員たちの意識を汲み上げて実際にそれを物 質化してしまっているのです。人間たちのひとりひとりを調査しているかのよ うです。ソラリスは海で囲まれた惑星であり、ソラリス上に浮んでいる宇宙船 には、いつもこのソラリスの海が見えています。この海こそが意思をもってい るようなの。 しかしもうひとつ考えられるのは、これは遠い宇宙空間に浮んだ狭いロケッ トの中が舞台でもあるわけです。その中での各自乗組員が見る妄想こそがこの ことの真実なのかもしれません。ひとりの乗組員は狂って自殺してしまってい ます。 問題は、狭い空間の中での各自の妄想であることと、いやソラリスの海こそ が高度な生命体だということが、このSF上の宇宙空間では同じことかもしれ ないと私は思ってしまうところです。この著者はポーランドの作家であり、こ の作品がそのロシア語版からの翻訳です。まだまだソ連邦が健在のときのSF 作品です。そうしたことから思ったのは、社会主義国家こそがひとつの強烈な 意思であり、そのなかに生きる各個人が見ていることはただの妄想でもあり、 また国家が作り出してしまった現実でもあったのかもしれないということもま た考えてしまいました。
更新日:2005年08月11日